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奇談倶楽部ー第三回ー

#魅惑の女スパイ #マタ・ハリ

 スカウトされダンサーとなりマタ・ハリを名乗るようになった彼女は、最初は小劇場、から始まり遂にはミラノのスカラ座に立つまでにスターダムを駆け上がっていきました。

 この頃の新聞記事やファンレターを彼女自身がスクラップしたノートが残されており、著名人との交流の華やかさが伺えます。「蝶々夫人」などで知られるプッチーニも彼女の才能を評価していました。また高級将校や政治家たちをパトロンに付け高級娼婦としても活動し、贅沢な暮らしを愉しんでいたのです。

 しかし、1914年6月28日のサラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発すると暮らし向きは一変しました。ステージに観客を惹きつけようとあれこれ手を尽くしますが戦時下で上手く行かず収入は減るばかりでした。そんなマタハリの状況と交友関係の多さにドイツ領事館が目を付けます。「スパイとなってフランスの情報を探ってほしい」と依頼し報酬の約束をしました。これを承諾したマタ・ハリはコードネーム「H21」と呼ばれるようになり、関係を持った将校たちなどが漏らした会話から様々な情報をドイツ側に流し戦況を左右したとされています。方法は古くから女性スパイやクノイチなどが使う、もっともオーソドックスな方法でハニートラップというもの。情事で口が軽くなった所で有益になりそうな話を引き出すというものでした。

 そんな戦火の中1916年、当時マタ・ハリの愛人だった若きロシア人将校のウラジミール・ド・マスロフが前線で負傷し、戦地で療養することに。いてもたってもいられなくなった彼女は会いに行こうとしますが、それには戦地へ入るための通行証が必要でした。そこで知り合いのフランス陸軍大尉ジョルジュ・ラドゥーを頼りますが、通行証と引き換えの条件に提示されたのが今度はドイツ側の情報をフランスに流して欲しいというもので、二重スパイを始めることになるのでした。

 いくつかの情報を流して間もなく。1916年12月、コードネーム「H21」が誰であるかをフランスの諜報部が突き止めます。翌二月、彼女はフランス側の警察によって逮捕されました。ドイツの情報をフランスに流したことを訴え恩情を得ようとしますが、大した情報ではなくドイツ側のスパイであることのカムフラージュだとして聞き入れられず、Uボートによる輸送船攻撃の原因を作ったことや、イギリスの新型戦車に関するドイツへの機密漏洩など、8つの重罪が全て彼女の諜報活動によるものとされ、40分のスピードで裁判は終了。有罪の判決が下されました。しかし現在ではこの諜報活動の内容や信ぴょう性は非常に疑わしく、マタ・ハリが戦況を動かすような大きな情報漏洩をしていたと考えるのは現実的ではありません。当時戦局不利であったフランスが国民の不満の目を他にそらすために分かりやすい「悪人」としてマタ・ハリを利用したと考える方が理にかなっているでしょう。

 スパイ活動の訓練も受けていない素人のマタ・ハリ。強いて言えば独特の雰囲気を作り上げ仮そめの人物を舞台で演じる技がスパイ活動での「装う」という点で有利に働いたことはあったかも知れません。しかし諜報活動1度目の動機は生活費、2度目の動機は愛人に会うため…。スパイはその手段にすぎず、本質はあくまで欲望に忠実な一人の女性に過ぎなかったのです。空想壁のあった幼い少女はやがて、自分が想像していた以上の役を演じたまま、1917年10月15日パリ郊外ヴァンセンヌの森付近で12人の銃撃隊によって射殺。ストローハットをかぶり落ち着いた態度で縄による拘束と目隠しを拒否する様子は悟ったようであったそうです。41歳でした。

 

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竹姫

ちくひめ

漫画家

多様なジャンルの作品を執筆するかたわら、自身のpodcast番組を持ち、

民俗学や歴史などに関連した番組「奇談ラジオ」を配信している。

ちょっと変わっていてちょっと不思議なエピソードをコミックを交えご紹介。


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